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チーム&ドライバー

ミッコ・ヒルボネン  /  BPフォード・アブダビ・ワールド・ラリー・チーム

国籍

フィンランド

生年月日

1980年7月31日

チーム

BPフォード・アブダビ・ワールド・ラリー・チーム

コ・ドライバー

ヤルモ・レーティネン

世界タイトル

なし

WRCデビュー

2002年フィンランド

WRC優勝回数

7

公式サイト

www.mikkohirvonen.com

ミッコ・ヒルボネンの魅力

・2008年、フォードでファーストドライバーという大役に挑戦
・ 速くて安定している。2008年に全戦でポイントを獲得した唯一のドライバー
・ 大金を稼ぐドライバーになっても、彼にとっての夢の車はフォード・エスコートMK2

主な戦績

2002年:フィンランドF2タイトル獲得
2003年:フォード・ワークスチームの3番手ドライバーとしてWRCにフル参戦
2004年:トミ・マキネンの引退に伴いスバルにセカンドドライバーとして加入
2005年:プライベーターとしてフォードのマシンで出場したアクロポリス・ラリーで首位に立つ
2006年:オーストラリアで自己初優勝、ドライバーズ選手権3位
2007年:3勝を挙げ、2年連続のドライバーズ選手権3位
2008年:3勝を挙げ、ドライバーズ選手権2位

経歴概要
ラリーを始めたのは1998年ながら、ヒルボネンは早くも2002年にフィンランドのフォーミュラ2タイトルを勝ち取り、二輪駆動車のレースで才能を見せつけた。同じ年、イタリアで開催されたスバル・カップ・チャレンジでは首位に立ちながらも、最終ラウンドの最終ステージでコースオフを喫して惜しくもタイトルを逃した。とはいえそれまでの努力が認められ、2003年、ヒルボネンはフォードのワークスシートを得た。

デビュー戦のモンテカルロではマシンをロールオーバーさせてしまったものの、それ以降は目立つ所こそなかったとはいえ安定したシーズンを送り、2004年、スバル加入へと至る。ここでもヒルボネンは堅実なパフォーマンスを見せたが、2005年は再びプライベーターとしての参戦に甘んじる。この時マシンは2003年仕様へと格下げになりながら、アクロポリス・ラリーでは総合首位に立って周囲を驚かせた。これですぐさまヒルボネンは再びワークスエントリーを得た。そしてスペインで3位に入ると、2006年にフォードのセカンドドライバーとしての地位を手に入れることになった。

2006年、ヒルボネンはマーカス・グロンホルムのサポートという重要な役割を演じ、グロンホルムと共にフォードのマニュファクチャラーズタイトル獲得に貢献した。さらにこの年、ヒルボネンはオーストラリアでWRC自己初優勝を遂げた。そして2007年も、ノルウェー、ジャパン、グレートブリテンでの勝利を含めて合計10度ポディウムに立ち、素晴らしい仕事をした。そのおかげもあって、BPフォードは2年連続でマニュファクチャラーズタイトルを獲得。ヒルボネン自身は、ドライバーズ選手権3位で2007年を締めくくると、マーカス・グロンホルムの引退を受けて、2008年にフォードのエースに任命された。

当時27歳のヒルボネンは、最も若く、経験の少ないワークスチームのファーストドライバーとして2008年をスタートしたが、その困難に立ち向かい、かつてなく好調なシーズンを送った。チームの2番手ヤリ-マティ・ラトバラのスピードに後押しされるように、ヒルボネンは3勝を挙げると、最終戦の1つ前までセバスチャン・ローブとタイトル争いを繰り広げた。

しかし、ヒルボネンの2008年シーズンは、順風満帆というわけではなかった。タイトル獲得の夢をつなぐには、チームワークが非常に重要だった。優勝するためにチームメイトを犠牲にするチームオーダーによって、ヒルボネンは恩恵を受けることが何度かあった。だが、ラトバラの目覚ましいスピードに自らも奮起させられることがある一方、自分をサポートするはずの後輩の速さに悩まされることもあったのである。しかし、ミッコ・ヒルボネンは、今年も必ず、2008年同様その実力を見せてくれるだろう。